Human Rights Watch 2004
エチオピア(2004年1月)
エチオピア政府は現在も国民の基本的人権を認めず、非武装の反政府勢力を抑圧している。外国の援助団体も政府のこのような権力濫用を是正する役割を果たしておらず、彼らの関心は飢饉に向かっている。そしてエチオピアが、エリトリアとの国境の位置に関する仲裁協定を尊重せず、また米国の「テロとの戦争」に協力しているため、新たなエチオピア−エリトリア戦争が勃発する可能性が出てきている。
マスコミ規制
民間のマスコミの存在基盤は危うく、編集者、出版者、記者たちは頻繁に逮捕され、嫌がらせを受けている。エチオプ(Ethiop)紙の元編集者で、ジャーナリストのテオドロス・カサ(Teodros Kassa)氏は、2年の懲役刑を受け、現在刑務所で2年目を迎えている。彼は、あるビジネスマンが武装反政府勢力に所属していると疑われて、治安軍に殺害されたのではないかと示唆する記事を書いたため、その死亡したビジネスマンの「名誉を毀損した」として有罪となった。彼の他に少なくとも4人のジャーナリストが逮捕され、保釈された。またもう1人のエチオプ紙ジャーナリスト、アラヤ・テスファ・マリアム(Araya Tesfa Mariam)氏は、連邦警察の制服を着た3人の男性に攻撃され、重傷を負った。アラヤ氏は、NGOであるエチオピア人権評議会(EHRCO)に対し、攻撃の前、彼は治安軍からある情報源の名前を明かすよう圧力をかけられていた、と述べた。
現在提案されているマスコミに関する法律は、いくつかの修正はあるものの、もし通過すれば、民間の新聞に対する政府の監視を強めるだろう。10月、この法案を中心になって起草した情報省は、エチオピア報道の自由ジャーナリスト協会(EFJA)が法案に反対したことは「責任あるジャーナリズム」を損なうものだとして、同協会を批判した。それから3ヶ月もしないうちに、法務省はEFJAが年次会計報告を提出しなかったとして、登録を停止した。2004年1月、政府はEFJAの銀行口座を差し押さえたと発表した。
野党への攻撃
与党連合のエチオピア人民民主戦線(Ethiopian Peoples' Democratic Front 、EPRDF)と協力関係にある政党の各地方の指導者など、地方の権力者が、登録されている野党の支持者に対する暴行に関与しているとされることが多い。2003年にはそのような紛争が4つの地方であったと報告されているが、確認はできていない。そのうちの1件では、地元の警察が、攻撃側に付き添った。
憲法と法律上の義務の不履行
1994年エチオピア憲法(55条22—23項)では、議会が人権委員会とオンブズマンを設置するよう定めており、議会の指導者たちも2001年から「まもなく」選任すると繰り返し約束しているか、そのいずれも存在しない。
1999年放送法は政府がテレビ局とラジオ局を独占している状態を終わらせるために制定されたものだが、これまで事業免許が出されたことはなく、唯一の非政府局は与党が所有している。エチオピアの田舎に住む600万人の、そして多くは読み書きのできない人々にとって、噂の他にはラジオだけが情報源である。
警察と刑務所における虐待
平和的なデモを抑えるために、過剰な力の行使が行われることも多い。デモ参加者は、大量逮捕され、暴行を受けることがある。2003年2月、リデタ(Lideta)教会のメンバーのうち少なくとも34人が平和的な集会の最中に逮捕された。治安部隊は彼らを警察の訓練キャンプに連行し、2日間に渡って、殴ったり、毎日数時間裸足で走らせたり、膝や肘に何もつけないで、砂や砂利の上を匍匐前進させた。このような形の虐待は過去数年大量逮捕の際に繰り返し行われてきた。
もっと激しい拷問もなくなっておらず、問題である。エチオピア人権評議会(EHRCO)は、アベラ・ヘイ氏が警察で逮捕拘留されている間に死亡したと報告している。警察はアベラ氏が自ら首をつったと主張しているが、遺体と写真を詳しく調べたところ、顎は骨折、歯は欠けていて、睾丸が膨張、助骨に傷、口と鼻の周りに出血があった。
治安軍と刑務所当局は行き過ぎがあってもその責任を問われることはほとんどない。過剰な 力の行使と、身柄を拘束された人に対する暴行についてはhttp://www.hrw.org/reports/ethiopia0103 を参照されたい。
司法の遅れ
司法制度は名目上は独立しているが、訓練を受けた裁判官が不足しているため、司法手続は政治の圧力を受け、また遅れることが多い。警察と検察が証拠を集める時間を増やすため、刑事裁判は頻繁に延期される。逃亡の危険が極めて少なくても、保釈申請はしばしば却下される。保釈の認められない犯罪である汚職で起訴された被告人は、司法判断による延長で、裁判を受けることなく何年も監禁される。その最も顕著な例が、首相の最大の政敵で、元防衛大臣だった人物だ。ビジネスウーマンのディンキネシュ・デレサ(Dinkinesh Deressa)は、2002年6月逮捕され、武装反政府勢力であるオロモ解放戦線(Oromo Liberation Front 、OLF)のメンバーであるとして起訴されたが、2002年7月保釈された。彼女は3日後同じ容疑で逮捕され、保釈は認められなかった。1年後の2003年7月、裁判の証拠調べが終わったのに、2003年末段階で彼女は判決も言い渡されず、監禁されている。
前軍事政権(デルグ政権the Derg)転覆から13年経って、 その頃官僚だった人々が何千人も、大量虐殺、人道に対する罪、その他の重罪で起訴され、裁判も受けないまま刑務所に入れられている。デルグ政権の被告人で裁判(民事で)を受けた者の約3分の1は無罪となっているが、十年以上も刑務所に入れられた後無罪となる例もある。時間の経過によって証拠が失われたために無罪になっている例もあるが、証拠がなくなったために有罪となる可能性もある。独裁者メンギツ・ハイレ・マリアム(Mengistu Haile Mariam)の側近37人の裁判で、被告人の1人は、彼が犯したとされる犯罪は30年も前のことであるため、証人を申請する権利を放棄した。(メンギツは、欠席裁判を受けているが、現在ジンバブエに滞在し、ムガベ政権に庇護されているため、権力濫用の責任を取らされる可能性は低い。)