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エチオピア: 人権

国連 経済社会委員会

配布 一般

E/CN.4/2000/9
2000年2月2日
正文 英語、フランス語、スペイン語

人権委員会
第56セッション
仮議題11(a)

拷問と勾留の問題を含む市民的・政治的権利
特別報告官報告 Nigel Rodley
人権委員会決議1999/33に従って提出

エリトリア

通常の通信と得られた回答
426.1999年11月29日付の手紙で、特別報告官は同国政府にし、エチオピアと同国の紛争の期間中に(1998年5月以降)エリトリア国内においてエチオピア人が警察から虐待を受けているとの情報を得たことを知らせた。特に同報告官は以下の事例を伝達した。

427. Assab出身のエチオピア人貿易商Hadish Wolde−Negusはエチオピアの戦争努力を支持しているとして、このことにつき尋問され、警察に逮捕され虐待されたという。彼はティグレイ開発協会(Tigray Development Association、TDA)への毎月の寄付について尋問された。TDAはエリトリアで登録されているエチオピアのNGOであり、ティグレイ地域の開発プログラムを支援している団体であるとのことだ。彼は毎日警察に出頭するよう命じられた。彼はすべての関係書類を警察に開示したが、警察はこれを受け取ることを拒否したとのことである。尋問の際、彼が警察の満足するような答えをしなければ、背中や足を殴られたという。得られた情報によれば彼の足の傷は回復しつつある傷と一致し、はっきりと目に見えるものであった。彼は1998年8月にエチオピアに帰国したらしい。

428. Assab出身の牧師であるDemos DestaはTDAへの支払いについて3日間にわたり尋問を受けたという。この間に電線で殴られ、何度も蹴られたとのことである。釈放された後、彼は1998年6月22日エチオピアに帰国した。

429. ホテルの従業員であるWolde Hagosは1998年6月のはじめ、アスマラ空港が爆撃された日に解雇された。その後彼は逮捕され第一警察署に連行され、そこで後ろ手に縛られたまま殴られたとのことである。1ヶ月後彼は釈放されたが、警察は彼のIDカードと労働許可証を破ったという。彼がエチオピア大使館に登録しようと出かけると、警察がIDカードの提示を求めた。彼は別の警察署に連行され、IDカードを持っていないという理由で殴られたとのことである。

エチオピア

通常の通信と得られた回答
430.1999年11月29日付の手紙で、特別報告官は同国政府にし、1999年1月のエリトリア系のエチオピア追放は非人道的な形で行われているとの情報を得たことを知らせた。人々は作戦が行われていることを隠すために夜中に逮捕されているという。また追放されるまでに1、2日から何ヶ月もの間勾留されていると報告されている。また追放される人は鞄一つしか持ち出すことを許されない。エリトリアに到着した第一陣の一人は高齢の男性で、パジャマとサンダル姿であり他には何も持ち出すことを許されなかった。母親は子どものために必要なものを用意する間もなく連行され、家族は意図的に制度的に分離させられ、別々のグループで送還され、何ヶ月も引き離されることもある。数日間の旅の間にトイレ休憩はほとんどなく、食べ物と水はごくわずかで、むっとするような暑さの中でも窓は閉じられているという。夜はバスの中で眠り、屋根の上に積んだ荷物から身の回りのものや薬なども取り出すことが許されない。糖尿病の高齢者はエリトリアに着いた時点で非常に病状が悪化しており、緊急の治療が必要になったという。追放された人々の多くは、消耗し精神的に傷ついてエリトリアの受け入れセンターに到着した。

431.また特別報告官は以下のような個々の事例についても情報を得た。

432.Beza新聞のジャーナリストである、Nike Kassayeは1995年1月身元の不明のガンマンによってアジスアベバで誘拐されたという。彼は6週間にわたり治安維持部隊によって秘密の拘置所で勾留された。勾留期間中彼は殴られ、虐待され、医療を受けさせてもらえなかった。彼は衰弱しついに腸チフスを患った。彼は病院に移され脱出したという。得られた情報によれば彼はその後ケニヤに逃げたがそこではエチオピア大使館の高官に追われた。彼は別の国に避難したとのことである。

433.Ebyan Mohamed Ardoは1995年5月5日Kebriderで、エチオピア人民革命民主戦線(Ethiopian peoples‘ Revolutionary Democratic Front、EPRDF)のメンバーに逮捕された。彼女は政治的にオガデン国家解放戦線(Ogaden National Liberation Front、ONLF)とつながりがあったため、1995年5月7日から10月12日までKebriderの軍事基地に勾留された。彼女は弁護士に相談することも許されず、また被疑事実を知らされることもなかったという。彼女は勾留されていた期間中の1995年5月9日3人のEPRDF兵士によって強姦された。彼らは剣、ナイフ、棍棒、銃の柄、ブーツなどで彼女を拷問したという。彼女が拷問されたのは、ONLFの目的をしゃべらせるためであったという。彼女は背中、腎臓、腸などに痛みがあり、現在も頭痛がするという。

434.Ifrah Asseir Hassanは1996年2月8日Dhagahbourで、EPRDF軍のメンバーに逮捕された。彼女は政治的にONLFとつながりがあったため、Dhagahbourの軍事基地に勾留されたという。彼女は弁護士に相談することが許されなかった。1996年2月10日EPRDF兵士の一団が彼女の房に入ってきて銃の柄で彼女を殴ったという。また彼女は強姦されたとのことである。拷問の結果、彼女は胃と腎臓に痛みがあるという。 

435. Rukiya Ilime Adenは、被疑事実も知らされないまま1995年5月に逮捕された。彼女は真夜中に家から連行され、殴られ強姦されたという。彼女は政治的にONLFとつながりがあったため、Dhagahbourの軍事基地に勾留された。1995年5月10日彼女は軍の諜報部であるというFinaharのメンバーによって拷問を受けた。彼女は床に寝転がるように命じられ、ブーツを履いた人々によって殴られたり蹴られたりした。この拷問のため彼女はいつも腎臓に痛みがあり、排尿が困難で、頭痛、ショック状態が続いているという。得られた情報によれば彼女はけがを医者に診てもらうことも許されず、自分が経験したことをしゃべれば殺すと脅されたという。

436.ビジネスマンのAbdi−hiis Ahmed Dahirは1996年11月12日、Diri−Dhaboで逮捕されたという。彼はアジスアベバの刑務所に連れて行かれた。得られた情報によれば、彼は逆さ吊りにされ殴られた。彼は危険な状態に陥ったが治療を受けさせてもらえなかった。

437. Dhibaneは1996年7月9日、モスクから帰るところを逮捕されたという。彼はEPRDFの兵士4人に呼び止められ、宗教を聞かれた。彼が自分はイスラム教徒だと答えると、手錠をかけられ、目隠しされ車に乗せられた。彼は最初軍の兵舎に勾留された後、Maikelawi警察の捜査室に移された。彼は逆さ吊りにされ、意識を失うまで殴られたという。彼は自分の尿と汚れた塩水を飲むことを強要され、5日間食事も水も与えられなかった。 彼は3ヶ月間、独房に幽閉された。彼は勾留されている間、信仰上の活動・慣習を禁止された。彼は銃を頭に突きつけられ、自分がテロリストのメンバーであることを自白しなければ殺すぞと脅された。

438. Georgia生まれのエチオピア市民であるSvetlana Mamedovaは、1991年11月30日から12月5日まで、1994年3月から1995年9月29日まで、1996年4月から1997年6月13日までの3回にわたって逮捕、勾留されたという。得られた情報によれば彼女は主にアジスアベバのLmakahaweの拘置所に勾留されていた。ただし第10警察署(1996年9月)とN4地域の警察署(1997年1月から5月まで)に短期間勾留されたこともある。彼女はロシアのスパイとの嫌疑を掛けられて逮捕されたと思われる。勾留されている間彼女は虐待され、激しく殴られたり蹴られたりした。彼女はまたピストルで殺すと脅されたりした。時には数日間にわたって手足をビニールのワイヤでくくられたこともあるという。彼女は、非常に混雑した房か、小さくて暗い独房に入れられ、その間洗面所などを使えることはきわめて少なかった。彼女は何度か病院に連れて行かれたが、治療を受けさせてもらえなかった。彼女は正式な申し立てをすることができないということである。

439. 南部地方のSoddo Zuriaの公務員であるAto Tamene Koyiraは1997年6月27日逮捕されたということである。得られた情報によれば、彼は職場で彼に対して行われた戒告処分に不服申し立てを行っていた。1997年9月5日までの勾留期間中4日間続けて殴られたという。彼はそのまま拘置所につれて行かれ、裁判官のところにつれて行かれるまで1年間をそこで過ごした。彼は1998年6月22日についに保釈された。これは警察による被疑事実を否定した検察官の命令によるものである。

440. 北部Shewa地方のBereht Weredaの牧師であるAssefa W/Semaitは、1998年8月26日、tabotと呼ばれる聖なるアーチを盗んだという疑いで2名の警官に逮捕された。彼は警察に連行されそこで15日間勾留されたという。その後彼は裁判所の命令によって釈放された。1ヶ月後、再び逮捕され、Wereda警察署に連行され、そこで特に足をひどく殴られたという。また手は後ろ手に縛られた。その結果彼の手は麻痺したという。

緊急アピールと得られた回答
441. 1999年9月16日、特別報告官は、Oromia地域Nekemteのエチオピア赤十字社の議長であるMossissa Duressa、アジスアベバの民間病院Tarika診療所で働く医師であるTassev Begashow、保険会社社員のMulugetta Tirfessa Tufaのために緊急アピールを送付した。この3人は、幽閉されていると言われている。Mossissa Duressaはオロモ解放戦線(Oromo Liberation Front、OLF)のメンバーだという容疑でNekemteの治安維持兵士に逮捕されたという。彼は糖尿病を患っており、毎日インシュリン注射をしなければならない。Tassev Begashowは1999年8月15日に逮捕されたといわれている。彼はOLFの被疑者を治療したとして非難されている。彼は現在アジスアベバのMaikelawi犯罪捜査センターに幽閉されているとのことである。Mulugetta Tirfessa Tufaは1999年8月19日、アジスアベバで逮捕され、現在アジスアベバのMaikelawi犯罪捜査センターに幽閉されているらしい。逮捕されたとき、彼は1992年に受けた足の傷の治療を受けていた。


新曲「ルワンダの歴史を繰り返さない」ソロモン・テカリグ
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本気?まあね。提案中の政府投票用紙を見てみよう。
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