消息不明者
エチオピア人民革命民主戦線(Ethiopian Peoples' Revolutionary Democratic Front = 以下FPRDF と称す)政府は、エチオピア国民の基本的人権と民主権を、徹底した凶悪な行為で侵害している。
エチオピア政治犯救済連盟(Solidarity Committee for Ethiopian Political Prisoner = 以下SOCEPP と称す)は、数ある人権保護団体の一つで長年にわたってこのような侵害を記録し、非難してきた。ここしばらく現政府の記録を、崩壊した前政府(ダーグ政府)の記録と比較して「状況は以前より良くなった」とする傾向があるが、それは軽率な推測にすぎず、まだ議論の余地がかなり残されている。つまり、大虐殺が日常茶飯事ではなくなり、殺害が減り、暴力が世間の目に触れぬようになっただけの状態を「良くなった」と解釈している。このような安易な比較が、現政府の犯した犯罪の犠牲者にとって不当であるということは、多くの地区でおおむね黙認されている。そしてメレス ゼナウィ政府は実力で判断されており、その判決は過酷だ。民衆煽動や組織化した運動にもかかわらず、FPRDF政府の人権侵害の記録は悲惨である。一般大衆に対する容赦の無い強制服従、権利の全面否定、権力の基盤としての武力の正当化、横暴で無慈悲な鎮圧、恐怖と不安の広がり、真の平和の欠如など、問題はなおも続いている。消息不明者の件は、その中のほんの一部に過ぎない。
エチオピアで政府に拘留され、そのまま消息不明になっている人の正確な数は分かっていない。数百人という表現をされたり、二百人以下ともいわれる。アムネスティ インターナショナルは数十人の消息不明者の届け出を受理したと報告していが、SOCEPPはもっと多くの政治的に反論を唱えたものが消息を絶っていると確信している。EPRDFの手口から消息不明になるまでのパターンも認識することができる。
たいていの場合、犠牲者はまずEPRDFの警護団に誘拐される。警護団は一般市民の洋服を着用し、公的な車に乗っている場合と、一般の乗用車に乗っている場合がある。政府はそのような任務の遂行を否定し、「未確認の武装団」による仕業だとしている。多くのエチオピア国民は、政府が公的に「第三者」を批難しても、殺害や暗殺未遂は政府の局員によるものであると考えている。
誘拐されると、普通、街中の俗称「幽霊屋敷」や秘密の牢屋に監禁され、外部との連絡を一切絶たれる。世間の目から隔離され、EPRDFが絶対権力を握るティグレイにある孤独な地下の牢屋に収容される者もいる。
残念ながら、消息不明者は通常死んだものと考えられている。政治犯の消息に関してFPRDFが否認すると恐怖感が広がる。たとえば、(敬称略)アベベ アイェネクル(Abebe Aynekulu)、ツェガヤ ゲブレ メディン(Tsegaye Gebre Medhin)、イシャク デブレション(Yishak Debretsion)、シトトウ フセイン(Sitotaw Hussein)、ベリト アムハ(Belete Amha)、ヨセフ アイェレ(Yosef Ayele)、 テクレイ G.セラジ(Teklai G. Sellasie)、べーへ(Berhe)、ツル(Tulu)(スーダンから強制送還)などの消息不明者に関して、EPRDFは複数の目撃者がいるにもかかわらず、拘留した事実はないと否定した。親族たちは、消息不明者が拷問、あるいは政府の専決で処刑されてすでに死亡しているのではないかと懸念している。
消息不明者で出廷したものは誰一人としていない。
EPRDFは否定しているが、彼らがアディス アベバや他の街に多くの「幽霊屋敷(一般の住居を牢屋や拷問部屋に改造したもの)」や郊外に政府の建造物や家屋を改造した秘密の牢獄を所有していることは周知の事実となっている。ここに収容された人たちは、たいてい消息不明となっている。
EPRDFの手段をよく観察すると、反政府論を唱える人たちを駆り立て、攻撃し、鎮圧するパターンが計画されていることがわかる。この任務はティグレイ人民解放戦線(Tigrai People's Liberation Front = 以下TPLFと称す TPLFは有力EPRDFのうちの一組織)の上部幹部が管理する「暴力団員のような兵士」あるいは秘密分隊によって遂行される。彼らは法的支配の及ばない暗殺隊で、秘密で行動をし、人を殺しても罪に問われることはない。弾圧、誘拐、処刑を任務としている。
以下にSOCEPPが焦点をあてている消息不明者の部分リストをあげる。これらはEPRDFやその他の人たちに「忘れ去られた」と思われるケースである。ここにあげたリストはほんの一部に過ぎないことを留意していただきたい。また、消息不明者の親族たちは、消息不明者に注目が集まることを極力望まない。これまでの経験からすると、注目を浴びた捕虜は処刑されてしまうからである。このようなもっともな恐怖から、捕虜になっている家族が刑務所に留置されたまま政府から忘れ去られることを望む親族もいる。出所や身柄提出令状(当事者の裁判所出廷を命ずる令状、人身保護令状)などを要求すれば、エチオピアでは更なる鎮圧が予測される。親族の恐怖はこのような事実にもよるものである。
消息不明者
1. 1991年以来、拘留され音信不通となっている消息不明者
(敬称略)ツェガヤ ゲブレ メディン(Tsegaya Gebre Medhin)、シトトウ フセイン(Sitotaw Hussein)、イシャク デブレ ション(Yishak Debre Tsion)、ベリト アムハ(Belete Amha)、テクレイ ジブレ セラジ(Teklai Gebre Sellasie)、べーへ(Berhe)、ツル(Tulu)、アベラ(Aberra)、カーセイ ゲブレイ(Kahsay Gebrai)、その他。
上記はすべてEPRPのメンバーで、1991年にTPLFに捕らわれた。バール ダー 刑務所に連行され、後にティグレイに移管された。TPLF/EPRDFは彼らの消息に関する情報を提供することを拒んだ。ある時は、彼らを投獄した覚えはないと主張し、またある時はメレス ゼナウィ(現総理大臣)自身の指示により処刑されたと公表した。TPLFの元メンバー、ハガス アツベハ(Hagas Atsbeha)は騙されてスーダンからティグレイに連れ戻された(メンギス政権の崩壊以前)。組織から逃亡したTPLFリーダーの一人が彼の結婚相手の親戚だったという事実により逮捕され、それ以来消息不明になっている。
2. 1992年、(敬称略)ヨセフ アイェレ バティ(Yosef Ayele Bati)、ラメッサ ボル(Lamessa Boru)、デレジェ カナア(Dereje kana'a)、カサブン ハブテ(Kassabun Habte)、アナノ ミテ(Anano Mite)、ベキサ シナ(Bekisa Sina)、シェイク アリィ アーメッド ワデイ(Sheikh Aliy Ahmed Waday)はEPRDFに拘留され、1993年に消息不明となった。下記の人たちはアジス アベバに拘留され、消息不明者の長いリストの一部となっている。しかし、消息不明者の親族たちが、消息不明者に注目が集まることを極力望まないという事実がある。これまでの経験からすると、注目を浴びた捕虜は処刑されてしまうからである。このようなもっともな恐怖から、捕虜になっている家族が刑務所に留置されたまま政府から忘れ去られることを望む親族もいる。出所や身柄提出令状(当事者の裁判所出廷を命ずる令状、人身保護令状)などを要求すれば、エチオピアでは更なる鎮圧が予測される。親族の恐怖はこのような事実にもよるものである。
(敬称略)アベラシュ バータ(Aberash Berta)、レマ ヘイル(Lemma haile)、ケベデ タデッシ(Kebede Tadesse)、ウンドゥシラク デスタ(Wondusirak Desta)(全員エチオピア人民革命党メンバー)(Ethiopian People's Revolutionary Party =以下EPRPと称す)
EPRPのメンバーであるという理由で逮捕され、後に消息不明になっているのは、(敬称略)エヨボ テカベ(Eyob Tekabe)、デミッセ テスフェヤ(Demisse Tesfaye)(1995年、アルバ ミンチで逮捕)、アベベ アイェネクル(Abebe Aynekulu)(EPRDFに逮捕され、明らかにその5ヶ月後に起った犯罪の汚名をマスコミで着せられ、いまだに消息不明)。
3. その他の消息不明者は、(敬称略)アブドゥラヒ アブディ(Abdullahi Abdi)(ONLF)、イバド アブドゥラヒ(Ibado Abdullahi)、ゲタシュー エシェツ(Getashew Eshetu)、バーハヌ エジグ(Berhanu Ejigu)(ジャーナリスト)、ベフェカドゥ ディササ大佐(colonel Befekadu Disasa)、シーク ジェマル フセイン(Sheiikh Jemal Hussein)、アスラディン シーク ジェマル(Asladin Sheik Jemal)(OLF)、ムスタファ イドリス(Mustafa Idris)、エフレム ファンタヤ(Efrem Fantaya)、ダニエル アゴナファー(Daneil Agonafir)、メニリク テセマ(Menilik Tesemma)、イェヒュアレシェト マコネン(Yehualeshet Makonen)、アベベ ゲラウ(Abebe Gelaw)、アダネ アーゴウ(Adane Argaw)、アシェナフィ メンギス(Ashenafi Mengitsu)、ゲトネット アスナケ(Getnet Asnake)。
メレス ゼナウィ率いるEPRDF政府は、増加する消息不明の件に関して納得のいく説明をするべく招集されるべきである。逮捕や消息不明は無差別ではない。EPRDFに反対する政治組織がターゲットになっている。つまり、異議を唱えるものは、今後もあらゆる弾圧の対象になり続けるということだ。
SOCEPPは、EPRDF政府が消息不明者の親族の要求に対して、明確な説明をするべき時がすでに来ていると確信している。また、国際社会も、エチオピア国民の人権侵害がいまだに解決していないことを理解する時期でもある。「状況は改善された」と判断し、EPRDF政府の功績をあわてて認めようとする者は、大半のエチオピア人にとっての厳然たる事実、続く不正や弾圧、についてもう一度よく考えてみるべきである。民主制と人権が繁栄しているのは、国が管理するマスメディアの、言葉の世界の中だけである。
消息不明者: 8年間(1991年6月 〜 1999年6月)
1991年6月、EPRDFの武装軍隊が、ゴンダーとゴッジャム内にあるEPRPが支配する地区を攻撃した。その後に続いた戦線で、EPRPのリーダーや退役軍人がEPRDFに捕らわれた。この時、サンキサおよびその他の地区で捕らわれたEPRPリーダーは下記の通りである。
EPRPの創始メンバーであるツェガイェ ゲブレ メディン ルカ(Tsegaye Gebre Medhin Lucha)(デブテラとも知られる)、エチオピア学生運動の元リーダー、詩人、アマリック言語専門家でもあるイハック デブレション(Yihak Debretsion)、ベリート アムハ(Belete Amha)、シトトウ フセイン(Sitotaw Hussein)、退役ゲリラリーダーであるテクライ ゲブレセラジー(Teklai Gebresellasie)、ハゴス ベザビー(Hagos Bezabih)およびアベラ(Abera)。おおよそ時を同じくして、アザナウ デミル(Azanaw Demile)(ツル)がスーダン政府によってEPRDFに手渡された。ツェガイェと彼の同士は最初バール ダーの刑務所に拘留され、多くの人がここにいる彼らを目撃、話しをしたものもいる。バール ダーから本拠地であるティグレイ地区に移され、それ以来彼らは消息を絶った。政府は彼らを拘留したことすら否定する一方で、ツェガイェらはキーハやその他の非公認刑務所で残酷な状態におかれていたといううわさが絶えない。政府の否認は、ツェガイェやその他のEPRPリーダーが密かに処刑されているでのはないかという疑いに拍車をかけた。
SOCEPPはEPRDF政府に1991年6月以来「消息不明」となっているツェガイェとその他のEPRPリーダーたちの行方について説明を要求する。
エチオピア政治犯救済連盟
「少しでも不正があれば、それはあちこちに蔓延しているものだ!」